前鬼遡行の後は、北山川に向かって移動、その夜は北山川のツーリング開始点にもほど近い、紀和町の山奥の熊飛舎(ゆたかや、と読む)に一晩泊めていただくことになった。
ここのご主人、日本各地を放浪ののち、この場所が気に入って住み着き、農業を行いつつ、子供のころからの夢であった「自分の手で鉄道を引く」ということを手作りでコツコツと進めているという何ともユニークな人物とのこと。
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2007年09月01日
2007年08月21日
2007年06月17日
天安周辺をプチ観光
本日は韓国に来るようになってから、3度目の休日だ。
しかし、今日はオンコールがかかる可能性があって「あまり遠くに行かないでください」とくぎを刺されてしまった(^^;
そんなわけで、天安から電車でふた駅、となり町の牙山(アサン)市にある温陽温泉(オニャンオンチョン)周辺の、外国人観光客があえて行かんだろ、というようなところをぶらついてみることにした。ここからなら、タクシーを使えば天安より仕事場に近い。
その1 温陽民俗博物館
韓国内には「民俗なんちゃら」という施設はたくさんあって、だいぶ以前済州の民俗村にも行ったことがあり、そこはかなり楽しかったことを覚えている。
が、ここは…
うーん、かなり説明不足な施設で、微妙。基礎知識がない外国人にはわからんかも(外国語の解説は、英語がちょっとあるだけ)


屋外には石像がずらり行列していたり、かなり意味ありげなものがあちこちにあるんだけれど、これらのほとんどは、韓国ですら解説はない。
日曜午後なのに、人も少なく経営も大丈夫かな…
温陽温泉郊外に、500年以上も前から実際に人が住み続けている村をそっくりそのまま公開している外岩民俗村という微妙にかぶる施設もあり(現地に来てから知った)、そっちのほうが、おもしろかったかも。
その2 顕忠祠(ヒョンチュンサ)
顕忠祠は、韓国人にとって国民的ヒーローともいえる歴史上の人物、忠武公こと李舜臣を祀った施設だ。日本でも、亀甲船で有名?

京都にある、秀吉を祭った豊国廟くらいものを想像していたが、着いてみると、これがめちゃくちゃでかい。一人の人物をここまで盛大に祀るのは、日本人的にはちょっと違和感を感じてしまう。

展示館はなかなかGood。
ここは、李舜臣関係の遺品の展示や、その生涯を解説した施設。遺品は武具、愛用の日用品のほか李舜臣が科挙に合格した時の合格証のようななかなかリアルなものまであった
おもしろかったのは当時の海戦の資料。さまざまな武器の展示や、戦術の解説、亀甲船の復元模型などを見ることができる。
なお、解説は日本語のものもしっかりついていた。

展示館以外は、本殿、住居の復元模型、弓術の練習場跡などを見ることができる。
ただ、全体的な感想としては…グループでくつろぎに来るところで、一人で観光しに来るところではないかな(笑)。
散歩をする所としてはとても気持ちの良いところで、春の花の季節と秋の紅葉の季節はかなりきれいなんじゃないかと思う。
あ、温陽温泉、もちろん温泉もあるよ。今回はいかなかったけれど。
しかし、今日はオンコールがかかる可能性があって「あまり遠くに行かないでください」とくぎを刺されてしまった(^^;
そんなわけで、天安から電車でふた駅、となり町の牙山(アサン)市にある温陽温泉(オニャンオンチョン)周辺の、外国人観光客があえて行かんだろ、というようなところをぶらついてみることにした。ここからなら、タクシーを使えば天安より仕事場に近い。
その1 温陽民俗博物館
韓国内には「民俗なんちゃら」という施設はたくさんあって、だいぶ以前済州の民俗村にも行ったことがあり、そこはかなり楽しかったことを覚えている。
が、ここは…
うーん、かなり説明不足な施設で、微妙。基礎知識がない外国人にはわからんかも(外国語の解説は、英語がちょっとあるだけ)
屋外には石像がずらり行列していたり、かなり意味ありげなものがあちこちにあるんだけれど、これらのほとんどは、韓国ですら解説はない。
日曜午後なのに、人も少なく経営も大丈夫かな…
温陽温泉郊外に、500年以上も前から実際に人が住み続けている村をそっくりそのまま公開している外岩民俗村という微妙にかぶる施設もあり(現地に来てから知った)、そっちのほうが、おもしろかったかも。
その2 顕忠祠(ヒョンチュンサ)
顕忠祠は、韓国人にとって国民的ヒーローともいえる歴史上の人物、忠武公こと李舜臣を祀った施設だ。日本でも、亀甲船で有名?
京都にある、秀吉を祭った豊国廟くらいものを想像していたが、着いてみると、これがめちゃくちゃでかい。一人の人物をここまで盛大に祀るのは、日本人的にはちょっと違和感を感じてしまう。
展示館はなかなかGood。
ここは、李舜臣関係の遺品の展示や、その生涯を解説した施設。遺品は武具、愛用の日用品のほか李舜臣が科挙に合格した時の合格証のようななかなかリアルなものまであった
おもしろかったのは当時の海戦の資料。さまざまな武器の展示や、戦術の解説、亀甲船の復元模型などを見ることができる。
なお、解説は日本語のものもしっかりついていた。
展示館以外は、本殿、住居の復元模型、弓術の練習場跡などを見ることができる。
ただ、全体的な感想としては…グループでくつろぎに来るところで、一人で観光しに来るところではないかな(笑)。
散歩をする所としてはとても気持ちの良いところで、春の花の季節と秋の紅葉の季節はかなりきれいなんじゃないかと思う。
あ、温陽温泉、もちろん温泉もあるよ。今回はいかなかったけれど。
2007年06月15日
韓国語は簡単…かもしれない
韓国に来るのも、4月以降はや3回目である。というより、日本にいるより韓国にいた期間のほうが長いくらいだ。
せっかくの海外なので、たまに休みがあるとどこかに出かけることにしている。しかし、いざ一人でふらふら行動しようとしたとき、ここ韓国では言葉が大きな障害となる。
何といっても、看板も標識もハングルばかりだ。ハングルというのが、基礎知識がないと、どうにも意味のある記号としてとらえられない。そのため、ほんのひと文字、ふた文字の単語や地名すら、覚えておくことができない。
台湾にいた時も、やはり言葉をまったく覚えないままに行動していたが、文字は漢字。漢文を読むようなつもりで何となく意味はとれたし、筆談もできた。さらに、いざというときは「助けて!おじいちゃん!」作戦なんて手も何度か使ったっけ(笑)
しかし、いずれも韓国では通用しない
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せっかくの海外なので、たまに休みがあるとどこかに出かけることにしている。しかし、いざ一人でふらふら行動しようとしたとき、ここ韓国では言葉が大きな障害となる。
何といっても、看板も標識もハングルばかりだ。ハングルというのが、基礎知識がないと、どうにも意味のある記号としてとらえられない。そのため、ほんのひと文字、ふた文字の単語や地名すら、覚えておくことができない。
台湾にいた時も、やはり言葉をまったく覚えないままに行動していたが、文字は漢字。漢文を読むようなつもりで何となく意味はとれたし、筆談もできた。さらに、いざというときは「助けて!おじいちゃん!」作戦なんて手も何度か使ったっけ(笑)
しかし、いずれも韓国では通用しない
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2007年05月25日
天安名物
ここ天安の町は名所にも、名物にも乏しい。駅前に観光案内所があれど、週末は閉まっているし(笑)。そんな中、唯一地元の韓国人誰もがお勧めする「おいしいもの」がある。それが、この胡桃菓子。

胡桃をかたどった、もみじ饅頭みたいなふっくらとした皮の中に、上品な甘さの餡と天安周辺で韓国全体の50%を生産するという胡桃を包んだお菓子だ。
ルーツは日本にある。1929年に日本で菓子の技術を学んできた人が、作り始めたのが始まりという。70年以上の歴史というのは、20年も続けば伝統店になってしまうという韓国の飲食店としては、相当に伝統があるといってもよさそうだ。
今では、いろんな店で同様なお菓子が作られている。お勧めは、焼きたてのものを熱いうちに食べること。熱いうちなら、どの店のもおいしい。ただ、冷めてもおいしいお店は少ないとか。
今日で、韓国滞在は、いったんおしまい。その「冷めてもおいしい」創業70年の元祖の店(?)のものをお土産にチョイスした。

胡桃をかたどった、もみじ饅頭みたいなふっくらとした皮の中に、上品な甘さの餡と天安周辺で韓国全体の50%を生産するという胡桃を包んだお菓子だ。
ルーツは日本にある。1929年に日本で菓子の技術を学んできた人が、作り始めたのが始まりという。70年以上の歴史というのは、20年も続けば伝統店になってしまうという韓国の飲食店としては、相当に伝統があるといってもよさそうだ。
今では、いろんな店で同様なお菓子が作られている。お勧めは、焼きたてのものを熱いうちに食べること。熱いうちなら、どの店のもおいしい。ただ、冷めてもおいしいお店は少ないとか。
今日で、韓国滞在は、いったんおしまい。その「冷めてもおいしい」創業70年の元祖の店(?)のものをお土産にチョイスした。
2007年05月20日
百済最後の都 扶餘を訪れる
ようやく取れた日曜日休み。扶餘(ふよ、韓国の読みではブヨォに近い)という町を訪れることにした。
ここは、日本でもなじみの深い百済王国の、滅亡前の最後の123年間、都が置かれた場所で、百済関連の遺跡、遺物が見ものの古代ロマンあふれる町だ。そして、あの「白村江(はくすきのえ)の戦い」、そう、日本史の授業で必ず習って、しかもなぜか試験への出題率も妙に高かった、あの戦いの行われた場所なのだ。
交通はちょっと不便で、ソウルをベースにした旅行ではちょっと行きにくい場所だ。でも、天安ベースならば直通バスで2時間かからない。これはいいチャンスだ。
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ここは、日本でもなじみの深い百済王国の、滅亡前の最後の123年間、都が置かれた場所で、百済関連の遺跡、遺物が見ものの古代ロマンあふれる町だ。そして、あの「白村江(はくすきのえ)の戦い」、そう、日本史の授業で必ず習って、しかもなぜか試験への出題率も妙に高かった、あの戦いの行われた場所なのだ。
交通はちょっと不便で、ソウルをベースにした旅行ではちょっと行きにくい場所だ。でも、天安ベースならば直通バスで2時間かからない。これはいいチャンスだ。
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2007年04月15日
2007年04月08日
天安散策&独立記念館見学
さて今日は、韓国に来て初の休日。
「地球の歩き方」であまりに軽い扱いの天安(チョナン)の名誉のため(?)天安周辺で面白そうなところを探すことにした。
天安郊外に「独立記念館」というものがある。日本統治時代に行われた重要な独立闘争である三・一独立運動が特にこの地で激しく行われたようで、韓国独立への過程において、重要な地であったからだろうか。また、独立運動中の象徴的な人物である柳寛順の出生地も、ここ天安である。
施設の性質からして、あまり外国人向けには考えられていない可能性もある。
しかし、この記念館、学校行事などで行くため韓国人のかなりの割合の人が訪れている場所だそうではないか。これからしばらくかかわることになる韓国を知るために、行ってみるのも悪くないと考えた。続きを読む
「地球の歩き方」であまりに軽い扱いの天安(チョナン)の名誉のため(?)天安周辺で面白そうなところを探すことにした。
天安郊外に「独立記念館」というものがある。日本統治時代に行われた重要な独立闘争である三・一独立運動が特にこの地で激しく行われたようで、韓国独立への過程において、重要な地であったからだろうか。また、独立運動中の象徴的な人物である柳寛順の出生地も、ここ天安である。
施設の性質からして、あまり外国人向けには考えられていない可能性もある。
しかし、この記念館、学校行事などで行くため韓国人のかなりの割合の人が訪れている場所だそうではないか。これからしばらくかかわることになる韓国を知るために、行ってみるのも悪くないと考えた。続きを読む
2006年11月01日
捜査犬?
今週は、仕事で台湾に来ている。
今回空港で、犬を使った荷物検査に遭遇!こういうのってごつい犬がやっているのを想像していたけど…

こんな可愛い犬だった。麻薬とかは、また別なのかな?
しかし観察していると、「食べ物の入っているカバン」を嗅ぎ当てているようにしか見えない(-_-)
違法農作物などの取締りの意味もあるから、それはそれでいいのかもしれないけど、効率は悪そうであった。
余談だが、台湾の人は犬好き、というか犬に寛大な人が多いようだ。
今まで行った工場の守衛所周辺には、2箇所とも野良犬が完全に住み着いて、可愛がられているようであった。
実際、愛犬家も多く、お世話になっている代理店の方もそのひとり。
また、大都市部を離れるとやたらと野良犬が多くなる(特に東のほう)。
昨年、梨山〜合歓山〜太魯湖と自転車で走った時も、何度も野良犬に追いかけられて、ダッシュを強いられたなあ。
今回空港で、犬を使った荷物検査に遭遇!こういうのってごつい犬がやっているのを想像していたけど…

こんな可愛い犬だった。麻薬とかは、また別なのかな?
しかし観察していると、「食べ物の入っているカバン」を嗅ぎ当てているようにしか見えない(-_-)
違法農作物などの取締りの意味もあるから、それはそれでいいのかもしれないけど、効率は悪そうであった。
余談だが、台湾の人は犬好き、というか犬に寛大な人が多いようだ。
今まで行った工場の守衛所周辺には、2箇所とも野良犬が完全に住み着いて、可愛がられているようであった。
実際、愛犬家も多く、お世話になっている代理店の方もそのひとり。
また、大都市部を離れるとやたらと野良犬が多くなる(特に東のほう)。
昨年、梨山〜合歓山〜太魯湖と自転車で走った時も、何度も野良犬に追いかけられて、ダッシュを強いられたなあ。
2005年08月08日
親日の国
台湾滞在も、明日の夜で最後になる。(それを切に願っている。一回延長になったからな〜)
所感を一言で言うなら、暮らしやすい国であった。
食事もおいしい、治安もよい、物価もまずまず安い、そして何より、日本に対する感情がよい。
「日式」とか「日本で大人気」といったことが商品セールスコピーに普通に使われている。何度か出かけた旅先でも、よく「日本人ですか」と聞かれた。日本人だとわかると、熱心にいろいろ話し掛けてくる人も多かった。
また、テレビ番組や音楽など、日本発の文化に対する好感もかなり高いようだ。
尖閣諸島(日式のいいかた?)や、靖国がらみで、反日的な動きがまったくないわけではないけれど、一部の人間の小さな動きにとどまっている。
同じ、植民地支配の歴史を経ていながら、どうして台湾はこんなに親日の国になったのだろう?
このテーマには以前から興味があって、これに関連する本や文章などには結構目を通してきた。(まあ、そんなに本格的に調べているわけではなくて、目にとまったなら必ず見るという程度だけど…)
植民地支配の時代のやり方の違いだ、という話はよく聞く。
台湾は海軍が主体で、陸軍が主体であった韓国・中国と比べて穏やかな支配をしいたとか。(←出典を忘れたので、間違っているかも)
確かに、烏山頭ダムと嘉南大シュウ(かなんたいしゅう。シュウの字は土ヘンに川)を作った八田與一(はったよいち)のような、今でも台湾の人に尊敬される植民地時代の日本人がいたのは事実だ。
しかし実は、「日本人が行った植民地時代の施策」については、戦後の国民党時代にほとんど歴史として教えられることが禁じられていたらしい。
そのためもっと知られていると思っていたこれらの人の名は、一般の人たちの中ではほとんど知られていないのだと最近知った。(このあたり、こっちに来てから読んだ司馬遼太郎の「台湾紀行」が情報元)
それに、「善政」をしいていたとはいっても、台湾でも、強制連行やら、反日行動に対する容赦のない弾圧などはたくさん行われていたのもやはり事実。
結局のところ、親日感情の強い台湾と、反日感情の強い韓国・中国を分けた一番の原因は、日本時代のやり方の問題というよりこれらの国の戦後の歴史にあるのはほぼ間違いない、と思うようになった。
ボロボロになった国を建て直すために、ナショナリズムをよりどころとして必要とした韓国・台湾と、戦後やってきたそれまでの支配者であった日本よりタチの悪い内部の敵(蒋介石の国民党)との戦いを続けなければならなかった台湾の違いだ。
戦後の歴史如何によっては、台湾だって強い反日の国になった可能性だっていくらでもあったと思うのだ。
日本では有力政治家の戦時中の日本の行為に関する事実認識についても問題発言がよく飛び出す。
が、こういった「戦後の歴史」のような土台にあるものについても考えないと、これらの国の国民感情を読み誤るんじゃないかな。
単に、日本がどんな悪いことをしたとか、そんなのはウソだとか、細かい事実認識なんてのは(当事者には大問題かもしれないけど)、国民感情の形成にはほとんど関係ない。というより、国民感情が先にあって、それによって個々の歴史事実が問題になる、のではないかと。
先出、司馬遼太郎の「台湾紀行」のなかで、司馬氏は「ほかの国を植民地にするのは、何よりも他民族の自尊心という背骨をくだくことで、国家悪の最たるもの」と書いているが、これにはまったく同感。
その、国家悪の最たる植民地支配を、これらの国に行ってきたのは、動かしようもない大きな事実。
そして、これらの国と隣国としてこれから先もずっと付き合っていかなくてはいけないこともまた事実。
そして、アメリカとの関係よりも、これらの国との付き合いが政治的にも経済的にも安全保障的にもずっと重要になるというのも十分ありうる可能性。
そう考えると、日本の国益という観点から、日本の取るべき行動は決まっていると思うのだけどなあ。
日本の政治家の大半はそうは思っていないらしい。
政治家が信念を貫くことは、悪いことじゃないと思うけど、賭けるなら自分の命や政治生命にして欲しいね。
靖国参拝のような、現在や将来世代の国益を賭けて信念を貫くことはホントにやめて欲しいと思う。
とまあ、ちょっとまじめな話で台湾滞在を締めくくってみた。
所感を一言で言うなら、暮らしやすい国であった。
食事もおいしい、治安もよい、物価もまずまず安い、そして何より、日本に対する感情がよい。
「日式」とか「日本で大人気」といったことが商品セールスコピーに普通に使われている。何度か出かけた旅先でも、よく「日本人ですか」と聞かれた。日本人だとわかると、熱心にいろいろ話し掛けてくる人も多かった。
また、テレビ番組や音楽など、日本発の文化に対する好感もかなり高いようだ。
尖閣諸島(日式のいいかた?)や、靖国がらみで、反日的な動きがまったくないわけではないけれど、一部の人間の小さな動きにとどまっている。
同じ、植民地支配の歴史を経ていながら、どうして台湾はこんなに親日の国になったのだろう?
このテーマには以前から興味があって、これに関連する本や文章などには結構目を通してきた。(まあ、そんなに本格的に調べているわけではなくて、目にとまったなら必ず見るという程度だけど…)
植民地支配の時代のやり方の違いだ、という話はよく聞く。
台湾は海軍が主体で、陸軍が主体であった韓国・中国と比べて穏やかな支配をしいたとか。(←出典を忘れたので、間違っているかも)
確かに、烏山頭ダムと嘉南大シュウ(かなんたいしゅう。シュウの字は土ヘンに川)を作った八田與一(はったよいち)のような、今でも台湾の人に尊敬される植民地時代の日本人がいたのは事実だ。
しかし実は、「日本人が行った植民地時代の施策」については、戦後の国民党時代にほとんど歴史として教えられることが禁じられていたらしい。
そのためもっと知られていると思っていたこれらの人の名は、一般の人たちの中ではほとんど知られていないのだと最近知った。(このあたり、こっちに来てから読んだ司馬遼太郎の「台湾紀行」が情報元)
それに、「善政」をしいていたとはいっても、台湾でも、強制連行やら、反日行動に対する容赦のない弾圧などはたくさん行われていたのもやはり事実。
結局のところ、親日感情の強い台湾と、反日感情の強い韓国・中国を分けた一番の原因は、日本時代のやり方の問題というよりこれらの国の戦後の歴史にあるのはほぼ間違いない、と思うようになった。
ボロボロになった国を建て直すために、ナショナリズムをよりどころとして必要とした韓国・台湾と、戦後やってきたそれまでの支配者であった日本よりタチの悪い内部の敵(蒋介石の国民党)との戦いを続けなければならなかった台湾の違いだ。
戦後の歴史如何によっては、台湾だって強い反日の国になった可能性だっていくらでもあったと思うのだ。
日本では有力政治家の戦時中の日本の行為に関する事実認識についても問題発言がよく飛び出す。
が、こういった「戦後の歴史」のような土台にあるものについても考えないと、これらの国の国民感情を読み誤るんじゃないかな。
単に、日本がどんな悪いことをしたとか、そんなのはウソだとか、細かい事実認識なんてのは(当事者には大問題かもしれないけど)、国民感情の形成にはほとんど関係ない。というより、国民感情が先にあって、それによって個々の歴史事実が問題になる、のではないかと。
先出、司馬遼太郎の「台湾紀行」のなかで、司馬氏は「ほかの国を植民地にするのは、何よりも他民族の自尊心という背骨をくだくことで、国家悪の最たるもの」と書いているが、これにはまったく同感。
その、国家悪の最たる植民地支配を、これらの国に行ってきたのは、動かしようもない大きな事実。
そして、これらの国と隣国としてこれから先もずっと付き合っていかなくてはいけないこともまた事実。
そして、アメリカとの関係よりも、これらの国との付き合いが政治的にも経済的にも安全保障的にもずっと重要になるというのも十分ありうる可能性。
そう考えると、日本の国益という観点から、日本の取るべき行動は決まっていると思うのだけどなあ。
日本の政治家の大半はそうは思っていないらしい。
政治家が信念を貫くことは、悪いことじゃないと思うけど、賭けるなら自分の命や政治生命にして欲しいね。
靖国参拝のような、現在や将来世代の国益を賭けて信念を貫くことはホントにやめて欲しいと思う。
とまあ、ちょっとまじめな話で台湾滞在を締めくくってみた。
2005年07月30日
台湾・東西横貫公路の旅
2005年07月28日
MTBゲット
買ったわけではない。現地の代理店の知人があまり乗らないからと台湾滞在中貸してくれた。

GiantのMCMカーボンフレームで、メインコンポはデオーレ。avidのワイヤーディスクに、Pilot SL。
パーツはそれほど上等ではないがポイントは抑えてある、これで2万元だって(約7万円)??
安すぎ。買ってかえろうかな?
チェックしてみると、ディスクが若干パッドと接触していたので調整。あとは、かなりいい状態だ。
これでこっちの行動範囲も広がりそうで楽しみ。

GiantのMCMカーボンフレームで、メインコンポはデオーレ。avidのワイヤーディスクに、Pilot SL。
パーツはそれほど上等ではないがポイントは抑えてある、これで2万元だって(約7万円)??
安すぎ。買ってかえろうかな?
チェックしてみると、ディスクが若干パッドと接触していたので調整。あとは、かなりいい状態だ。
これでこっちの行動範囲も広がりそうで楽しみ。
2005年07月24日
陽明山にサイクリング登山
台北の駅に置いてあった「Discover Taipei」という雑誌を見ていたら、最近台北北部でサイクリングロードが整備され、Guandu(關渡)のサイクリングロード沿いに新たなGiantのOutletセンターがオープンし、そこでレンタルサイクルをしている、というような記事が載っていた。
Outletという言葉にも惹かれ、ここでマウンテンバイクを借りて陽明山でも行ってみようか、と出かけてみた。
困ったことに、この雑誌はまったく地図が載っていない。まあ、關渡の近くで、サイクリングロードそばといえば、かなり限られる。多少の不確定要素もあっても面白いだろう。
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Outletという言葉にも惹かれ、ここでマウンテンバイクを借りて陽明山でも行ってみようか、と出かけてみた。
困ったことに、この雑誌はまったく地図が載っていない。まあ、關渡の近くで、サイクリングロードそばといえば、かなり限られる。多少の不確定要素もあっても面白いだろう。
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2005年07月20日
中レキで散髪
中レキの町は、なぜか散髪屋が異常に多い。
50mくらいの路地の間に、3,4軒あることなどざらだ。まるで熊本のラーメン屋か、東北の地方都市の酒屋か、というような状態だ。台北に住む現地の仕事仲間にそのことを聞いてみると「へ〜そうなんですか?」というような反応だったので、台湾全体で多いわけではなさそうだ。
これだけ多ければ、安くてレベルも高かろう、と異国の地での散髪に挑戦。
「請幇我剪目前台湾最流行的髪型 但是請不要染色(いま、台湾で一番はやっている髪型にしてください。但し、染髪はいらないよ、の意。正確には、幇の字は間に白という字が入る日本語では表記不能な字。)」と書いてもらった紙を渡してオーダー。まあ、モヒカンやスキンヘッド、ソリコミなどがはやっている様子はないので(笑)、ひどいことにはならないだろう。散髪屋の女性もかなり面白がってくれたようだ。
なかなか手際がよく、15分ほどで完了。櫛とバリカンを併用するようなあまり日本で見ないテクニックを使っていた。

仕上がりはいたって普通。十分だ。カットのみとはいえ、これで150元(500円ちょっと)は安いね。散髪は台湾で?
50mくらいの路地の間に、3,4軒あることなどざらだ。まるで熊本のラーメン屋か、東北の地方都市の酒屋か、というような状態だ。台北に住む現地の仕事仲間にそのことを聞いてみると「へ〜そうなんですか?」というような反応だったので、台湾全体で多いわけではなさそうだ。
これだけ多ければ、安くてレベルも高かろう、と異国の地での散髪に挑戦。
「請幇我剪目前台湾最流行的髪型 但是請不要染色(いま、台湾で一番はやっている髪型にしてください。但し、染髪はいらないよ、の意。正確には、幇の字は間に白という字が入る日本語では表記不能な字。)」と書いてもらった紙を渡してオーダー。まあ、モヒカンやスキンヘッド、ソリコミなどがはやっている様子はないので(笑)、ひどいことにはならないだろう。散髪屋の女性もかなり面白がってくれたようだ。
なかなか手際がよく、15分ほどで完了。櫛とバリカンを併用するようなあまり日本で見ないテクニックを使っていた。
仕上がりはいたって普通。十分だ。カットのみとはいえ、これで150元(500円ちょっと)は安いね。散髪は台湾で?
2005年07月17日
故宮博物院見学
台湾にきて、初めての休日。
ただ、大型の台風が迫りつつある。
外遊びは無理。かつ、あんまり遅くなると帰れなくなるかも。
ということで、手ごろだし、一度行ってみたかった故宮博物院へ。
はじめ、台北駅からバスで行こうとしたのだが、バスターミナルで教えてもらった乗り場で待てど暮らせどバスは来ない。時刻表の定刻をだいぶ過ぎてから、見切りをつけMRT(地下鉄みたいなもの)の劍潭駅からバスで行くことにした。たぶんこっちが確実。
故宮博物は世界4大博物館のひとつだという。中国歴代王朝の宝物を、蒋介石が台湾に逃げてくるときにそっくり持ってきてしまったわけで、そのコレクションはすごい。

ただ、建物はもちろん収蔵用に後から作ったものと思われ、あまりたいした事はない。しかも改修中。
展示物の解説は、基本的に中国語と英語。ところどころ日本語あり、という感じ。
英語解説を読めば、理解にはほとんど困らないだろう。ただ、よく知っている漢字の単語と英語がなかなか結びつかない。Monkey King→孫悟空とかね。
日本語のガイドをつけているツアーが来たときなど、ついていってちゃっかり便乗させてもらった。
故宮博物院の展示物は、結構人によって好き嫌いは分かれそうだ。僕の場合、「書」の展示などはその良さがさっぱりわからない。陶器もあんまり??
面白かったのは「神業より精巧?」のテーマで行われていた特別展示。象牙の彫刻など、ホントに凄い超絶技巧の連続であった。
「中国の歴史もの」などを期待していくと、がっかりするかもしれない。あくまで、芸術品を見せることにのみ、専念している感じである。
故宮博物院全体に占める、公開エリアの面積は実はほんの一部。展示物はどんどん入れ替えているようなので、何度行っても楽しめるんじゃないかな。
ただ、大型の台風が迫りつつある。
外遊びは無理。かつ、あんまり遅くなると帰れなくなるかも。
ということで、手ごろだし、一度行ってみたかった故宮博物院へ。
はじめ、台北駅からバスで行こうとしたのだが、バスターミナルで教えてもらった乗り場で待てど暮らせどバスは来ない。時刻表の定刻をだいぶ過ぎてから、見切りをつけMRT(地下鉄みたいなもの)の劍潭駅からバスで行くことにした。たぶんこっちが確実。
故宮博物は世界4大博物館のひとつだという。中国歴代王朝の宝物を、蒋介石が台湾に逃げてくるときにそっくり持ってきてしまったわけで、そのコレクションはすごい。
ただ、建物はもちろん収蔵用に後から作ったものと思われ、あまりたいした事はない。しかも改修中。
展示物の解説は、基本的に中国語と英語。ところどころ日本語あり、という感じ。
英語解説を読めば、理解にはほとんど困らないだろう。ただ、よく知っている漢字の単語と英語がなかなか結びつかない。Monkey King→孫悟空とかね。
日本語のガイドをつけているツアーが来たときなど、ついていってちゃっかり便乗させてもらった。
故宮博物院の展示物は、結構人によって好き嫌いは分かれそうだ。僕の場合、「書」の展示などはその良さがさっぱりわからない。陶器もあんまり??
面白かったのは「神業より精巧?」のテーマで行われていた特別展示。象牙の彫刻など、ホントに凄い超絶技巧の連続であった。
「中国の歴史もの」などを期待していくと、がっかりするかもしれない。あくまで、芸術品を見せることにのみ、専念している感じである。
故宮博物院全体に占める、公開エリアの面積は実はほんの一部。展示物はどんどん入れ替えているようなので、何度行っても楽しめるんじゃないかな。
2005年07月16日
台北101
仕事がちょっと早めに終わった土曜日、台北101へ行ってきた。
この春オープンした、高さ508mの世界で最も高いビルで、いまや完全に台北の新名所となっているようだ。

いやーでかい。バベルの塔なんてものがあるなら、こんな感じなんだろう。
ただし、最上階には上がれず、展望台は89階になる。
ぶったまげたのは、エレベーターのスピードだ。
89階まで30秒ちょっと。最高速度は、1010m/sというから、富士山山頂に3分40秒ほどでついてしまうことになる??もちろん世界最速。
下りでは、足が地面から浮いた(嘘)

展望台からの夜景はなかなかのもの。ただ、密度がやや低くには神戸や函館のほうが上かな。昼間にあがったほうが景色が楽しめると思われる。
結構地震が多い台湾に、こんなビル作って大丈夫かいな、とは思うが先の台湾地震のときに建設中ながら乗り切っているので、その辺はよく考えられてはいるんだろう。
ただ、地震のときに上からクレーン車が転げ落ちたりして、何人か亡くなったとか(これはホント)。
この春オープンした、高さ508mの世界で最も高いビルで、いまや完全に台北の新名所となっているようだ。
いやーでかい。バベルの塔なんてものがあるなら、こんな感じなんだろう。
ただし、最上階には上がれず、展望台は89階になる。
ぶったまげたのは、エレベーターのスピードだ。
89階まで30秒ちょっと。最高速度は、1010m/sというから、富士山山頂に3分40秒ほどでついてしまうことになる??もちろん世界最速。
下りでは、足が地面から浮いた(嘘)
展望台からの夜景はなかなかのもの。ただ、密度がやや低くには神戸や函館のほうが上かな。昼間にあがったほうが景色が楽しめると思われる。
結構地震が多い台湾に、こんなビル作って大丈夫かいな、とは思うが先の台湾地震のときに建設中ながら乗り切っているので、その辺はよく考えられてはいるんだろう。
ただ、地震のときに上からクレーン車が転げ落ちたりして、何人か亡くなったとか(これはホント)。
2005年06月28日
土佐旅行4日目 柚子と魚梁瀬杉の村探訪
龍河洞で遊んだ後、馬路村に移動した。人口1200程度の小さな村だが、日本三大美林のひとつ、魚梁瀬(やなせと読む)杉と柚子で全国的にも結構名の知れた村。
また、馬路ミロクという木材に気の特性を損なわないままで耐候性を飛躍的に高める特殊な薬液の加圧注入技術を持つ会社があり、柚子好き、木材好きの彼女の好みに見事マッチして行き先に決定!

さらに、温泉もある。前夜は、馬路温泉コミュニティセンターに宿泊。木を生かした素敵なつくりの宿で、目の前を清冽な安田川が流れてロケーションもよい。
馬路ミロクの社員の方に案内していただいて、まずはミロクの加工場へ。

これがその薬液の加圧注入用タンク。通常の耐水加工などと比べて、環境にやさしく、耐久性も高い。木道や遊具などにぴったりなのだそうな。工場のあちこちに、何年も前からあるという木のサンプルが置いてあるが見かけほとんど変わらない。

これは、大径木の真円加工が可能な機械。これだけ大きいのは日本で数台らしい。
ほかにも、いろいろ木に関する話を聞いた。
木工品の販売店などを覗いたあと、エコアスという木工品の加工会社へ。ここは、地場の魚梁瀬杉を生かした木のかばんや、木の座布団など、オリジナリティあふれる商品を作っており、工場を見学させていただいた。

試作品の木のかばん。これ、欲しいなあ〜。
お土産に木の団扇をいただいた。
全体として、村おこしが順調に行っており、非常に元気な村との印象。現在、大きな柚子製品加工場を建設中であった。柚子商品のラインナップは驚くほど。当然僕らも大量に買い込んだ。
帰り途中に、村の北部の千本山に立ち寄る。1000mに満たない小さな山だが、天然魚梁瀬杉の遺伝子保護のため、永久に伐採しないことにした山だとか。

このクラスの巨木が普通に生えている。巨木マニアにはお勧めの山だ。
登山口近くの川も、清冽そのもので、アマゴの学校状態だった。豊かな自然を感じさせる。
また、馬路ミロクという木材に気の特性を損なわないままで耐候性を飛躍的に高める特殊な薬液の加圧注入技術を持つ会社があり、柚子好き、木材好きの彼女の好みに見事マッチして行き先に決定!
さらに、温泉もある。前夜は、馬路温泉コミュニティセンターに宿泊。木を生かした素敵なつくりの宿で、目の前を清冽な安田川が流れてロケーションもよい。
馬路ミロクの社員の方に案内していただいて、まずはミロクの加工場へ。
これがその薬液の加圧注入用タンク。通常の耐水加工などと比べて、環境にやさしく、耐久性も高い。木道や遊具などにぴったりなのだそうな。工場のあちこちに、何年も前からあるという木のサンプルが置いてあるが見かけほとんど変わらない。
これは、大径木の真円加工が可能な機械。これだけ大きいのは日本で数台らしい。
ほかにも、いろいろ木に関する話を聞いた。
木工品の販売店などを覗いたあと、エコアスという木工品の加工会社へ。ここは、地場の魚梁瀬杉を生かした木のかばんや、木の座布団など、オリジナリティあふれる商品を作っており、工場を見学させていただいた。
試作品の木のかばん。これ、欲しいなあ〜。
お土産に木の団扇をいただいた。
全体として、村おこしが順調に行っており、非常に元気な村との印象。現在、大きな柚子製品加工場を建設中であった。柚子商品のラインナップは驚くほど。当然僕らも大量に買い込んだ。
帰り途中に、村の北部の千本山に立ち寄る。1000mに満たない小さな山だが、天然魚梁瀬杉の遺伝子保護のため、永久に伐採しないことにした山だとか。
このクラスの巨木が普通に生えている。巨木マニアにはお勧めの山だ。
登山口近くの川も、清冽そのもので、アマゴの学校状態だった。豊かな自然を感じさせる。
2005年06月25日
土佐旅行1日目 仁淀川〜越知〜吾川
ここ数ヶ月の多忙の原因を作っていた仕事がひと段落。休日をたくさん提供した代わりとして2日ほど休みをいただいた。4連休となったこの週末を利用して、高知に旅行してきた。
高知県の吾川村は、母の実家であり、私にとって「いなか」といえばここしかない。この村で子供のころ野山で遊んだ記憶は、私の中に深く刻み込まれ、今の自分があるのは,この場所のおかげかもなぁと思うことがある。
既に寝たきりとなっている祖母や、幼いころかわいがってくれたお隣のおじいさん(祖父の弟)、おばあさんたちに、結婚の報告をしたかったというのもある。
前夜発で、瀬戸大橋を経由し、その夜は南国SAでテン泊。快適なテン場であった。
午前中は仁淀川でカヤック遊び。詳しくは、別にカヤックのカテゴリに書いた。
その後、越知の老人ホームで祖母に会って、目的のひとつを果たした後、吾川村へ向かう。
母の実家の集落があるのは、村の中心部からさらに深い谷に分け入った先。もともと、平家の落人の里で、なるほど、隠れ住むにはぴったりだと思わせる、すごい田舎である(笑)。
昔の記憶をたどりながら、周辺を歩き回ってみた。
近くの沢には,あまごがうじゃうじゃ。田んぼはもちろん、道路わきの小さな溝などにまでイモリなどの生き物にあふれており、ほんのちょっとの時間だったが、蛇も3匹目撃、うち一匹はマムシ(怖)。

写真の沈下橋は、祖父が製作を指揮したもの。
自然の大岩を橋脚に取り込み、沈下橋にしては珍しいアーチ状の構造を持っており、なんと最近重要文化財に指定されたとか。
昔は、この橋しか、集落に入る手段はなかったという。車でわたるとかなり恐怖!

夕食の、お隣からの差し入れの品々。鮎はもちろん釣りたて。隣のおじいさんが釣ってきてくれたものだ。
夜は、蛍鑑賞に行ってみたが、昨年の大水で幼虫がほとんど流された上に、最近の日照りが重なり、一匹しか見られなかった。
記憶にある、まるで光の雲のような蛍の乱舞が見れなかったのは残念!
高知県の吾川村は、母の実家であり、私にとって「いなか」といえばここしかない。この村で子供のころ野山で遊んだ記憶は、私の中に深く刻み込まれ、今の自分があるのは,この場所のおかげかもなぁと思うことがある。
既に寝たきりとなっている祖母や、幼いころかわいがってくれたお隣のおじいさん(祖父の弟)、おばあさんたちに、結婚の報告をしたかったというのもある。
前夜発で、瀬戸大橋を経由し、その夜は南国SAでテン泊。快適なテン場であった。
午前中は仁淀川でカヤック遊び。詳しくは、別にカヤックのカテゴリに書いた。
その後、越知の老人ホームで祖母に会って、目的のひとつを果たした後、吾川村へ向かう。
母の実家の集落があるのは、村の中心部からさらに深い谷に分け入った先。もともと、平家の落人の里で、なるほど、隠れ住むにはぴったりだと思わせる、すごい田舎である(笑)。
昔の記憶をたどりながら、周辺を歩き回ってみた。
近くの沢には,あまごがうじゃうじゃ。田んぼはもちろん、道路わきの小さな溝などにまでイモリなどの生き物にあふれており、ほんのちょっとの時間だったが、蛇も3匹目撃、うち一匹はマムシ(怖)。
写真の沈下橋は、祖父が製作を指揮したもの。
自然の大岩を橋脚に取り込み、沈下橋にしては珍しいアーチ状の構造を持っており、なんと最近重要文化財に指定されたとか。
昔は、この橋しか、集落に入る手段はなかったという。車でわたるとかなり恐怖!
夕食の、お隣からの差し入れの品々。鮎はもちろん釣りたて。隣のおじいさんが釣ってきてくれたものだ。
夜は、蛍鑑賞に行ってみたが、昨年の大水で幼虫がほとんど流された上に、最近の日照りが重なり、一匹しか見られなかった。
記憶にある、まるで光の雲のような蛍の乱舞が見れなかったのは残念!